終末期ケア

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終末期ケアの資格



個人はどのように意思決定を行っているか

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最も伝統的なとらえ方は、課題の設定一選択肢の探求一結果の予測―結果の評価一選択という手順を踏んでいるとする、「合理モデル」と呼ばれるものである。その特徴は、「すべての」選択肢を「一挙に」洗い出し、それぞれの選択肢がもたらすであろう結果を「確実に」推測し、「あらかじめ決められた」評価基準にしたがって未だ起きてない結果を「完全な」想像力をもって「正確に」評価し、評価基準に「最も」適合する選択肢を選ぶと考えることにある。

しかし、現実の人間はこのようなことは行っていない。「すべて」とか「最も」という条件を満たすようなことを、私たちがしているとはいえないからである。人間は合理的であろうとするが、達成しうる合理性には限界があるからである。合理性の限界が最も強く現れるのは、結果を評価するときである。現在の私が決定した結果が生じるのは、将来であり、それを評価するのも将来の私である。しかし、現在の私が、将来の私の評価基準を予測することは、思いのほか難しいからである。

要するに、合理モデルは、「このように意思決定は行われている」という記述モデルというよりも、むしろ「このように意思決定は行われるべきである」という規範モデルである。そして、以下に述べる意思決定論は、合理モデルが前提としている「人間の全知性」を批判し、これを修正することによって、発展してきたものである。

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